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広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

広瀬 大介
新着記事

第40回
和声理論の歴史と、その転換点となったラモー『和声論』

 幼いときからピアノとヴァイオリンを習っていたため、ふたつの楽器の違いについては、ボンヤリとではあるが意識し続けてきた。ヴァイオリンが基本的にひとつの旋律を連綿と紡ぐ楽器であるのに対し、ピアノは旋律と伴奏を同時に担当することのできる楽器である。もちろんヴァイオリンも4本の弦を同時に演奏するなどの技巧を駆使すれば、旋律と伴奏を同時に演奏できるわけだが、そのようにして作られた各種の無伴奏作品などはむしろ例外で、自身が主役となる作品では、伴奏を担うピアノの支えを必要とする楽器であり続けている。ひとつの旋律+伴奏、という形による音楽(ホモフォニー)の在り方こそ、西洋音楽を西洋音楽たらしめている大きな要素のひとつである。
 この「伴奏」を担う音の組み合わせ、同時に鳴らされる2つ以上の音のつらなりを「和声」と呼ぶ。西洋音楽に於いては、この音の組み合わせのみならず、組み合わせた音をどのように連ねて音楽を構成するのか、複雑なパズルを構築するかのように、さまざまな方法論が確立していくことになった。旋律+伴奏という形態の演奏をひとりで実現することのできる鍵盤楽器の発展とともに、和声の考え方もまた複雑な様相を呈することになる。

 『ハーモニー探究の歴史:思想としての和声理論』は、この「和声」が西洋音楽に於いてどのように「和声理論」として確立し、時代による変遷を遂げたのか、通史的に追うことのできる、いままでにありそうでなかった著作として、実に興味深い成果を読み手に問いかけている。
 和声とは何か、和声の歴史では何を問題としているのかについては、本書の序章にわかりやすくまとめられている。和声をどのように連ねていくのかについての基準・規則は、時代や地域によって移り変わるものの、基本的には、ある響きの和音が「ここちよく」響くかそうでないか、という基準によって分かたれ、その理由に理論付けがなされることはほぼ変わらない。「ここちよく」響く和音を協和音、そうではない和音を不協和音と呼び慣わす。
 なぜひとはある一定の音のつらなりを「ここちよく」感じるのか、それを理論的に裏付けようとした最古の例が、紀元前6世紀に遡るピュタゴラスと、その教えを継承・発展させてきたピュタゴラス派のひとびとであった。自然倍音の問題と、弦の長さを整数比で分割することで得られる「ここちよい」響きが結びつけられ、18世紀までの音楽理論を形作ることになる。音が調和した状態である「ハルモニア」は、そのまま世界の「調和」を表す言葉と同義として使われた。音楽は数学の一部であり、世界を構成する秩序の一部を構成していたのである。

 18世紀、フランスの音楽家、ラモーの理論によって、和声の考え方は大きな変革を迎えた。

 [ラモーの]同書は、和声の歴史におけるジャン=フィリップ・ラモーの役割を、「音楽(あるいは協和)を数学だけではなく物理学的に説明するという、非常に大きな転換を音楽理論にとり入れた」と、簡潔かつ明解に定義してくれている(10頁)。

 ここまで事前の知識を仕入れておけば、実際にラモーの著作『自然の諸原理に還元された和声論』を繙いても理解がスラスラ進む……となるひとは、よほど和声の諸事情に通じたひとだろう。ラモーの理論を読み進めるには、とりわけその基本概念となる「基礎低音」(コード進行)、そして和声と数比を対応させるラモー独自の記述様式に慣れる必要がある。この著作を訳出するという大変な労を執られた伊藤友計氏が、本書の冒頭に読者の理解を促す導入を執筆して下さっているので、ここをしっかり読み込んでから本編に挑むとよいだろう。それ以降の調性音楽の理論的な支えが、この著作に多くを負っていることは疑う余地もない。そして、「協和音程」と「不協和音程」を数比の関係で定義しようとするラモーの努力とその限界が垣間見え、ひいては自身の思考も、音楽においてなにを「ここちよい」と感じるのか、という冒頭の問いに戻っていくはずである。

 なお、『自然の諸原理に還元された和声論』は先日重版し、『ハーモニー探究の歴史』も、まもなく重版の予定だとか。音楽書のほとんどが初版で終わってしまう運命をまぬかれないことを考えれば、この本の価値がなおいっそうわかるというものだろう。どちらも、末永く読み継がれる本へと成長することは疑いない。

※この記事は2019年11月に掲載致しました。

ご紹介した本
ソナタ形式の修辞学 古典派の音楽形式論

ハーモニー探究の歴史:思想としての和声理論
西田紘子、安川智子 編著/大愛崇晴、関本菜穂子、日比美和子 著

ルネサンスから現代まで、美しい音の響きについて、西洋人はどのように考え、それを理論化しようとしたのか? 各時代を画する和声理論を取り上げ、ドイツ的視点とフランス的視点の両面からバランスよく考察し、さらに、イタリア、アメリカの視点を加えた。分かりやすい解説は、大学のテキストに最適。

自然の諸原理に還元された和声論

自然の諸原理に還元された和声論
ジャン=フィリップ・ラモー 著/伊藤友計 訳

近代和声学の始まり、かつ基礎として大変有名な記念碑的著作『和声論』(1722)の初邦訳出版。正式タイトル『自然の諸原理に還元された和声論』。
ラモーの理論書第1作にして主著とされる著作。ラモー理論の重要な論点は、そのほとんどがこの『和声論』内で考察されている。全4巻からなり、前半2巻が思弁的内容、後半2巻が実践的内容に重点を置いた構成である。「音楽は音の科学である」というテーマが全編を貫いている。
ラモーの諸文献で記述された和声の規則は、ヨーロッパ諸国へと波及し決定的な影響を与えた。その影響は今日のわれわれの音楽体験に及ぶ。音楽理論史の重要書として誰もが言及するが、まとまった邦訳がなかった。
今回の日本語訳では、楽譜を現代譜にあらため、訳者による注や解題をつけ、本文を2段組にすることで、持ち運びや読解における利便性を高めた。ラモーの著作研究で博士号を取得した気鋭の研究者による画期的な訳本。

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