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広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

広瀬 大介

第31回
シベリウスが背負った時代と作品への帰結

 十数年ぶりにジャン・シベリウス(1865-1957)の《フィンランディア》のスコアを手に取り、学生の頃、この作品の95小節目から始まる勇壮かつ崇高な旋律が大好きで、わけもなく心を躍らせていたことを思い出す。なにより、ハ短調から変イ長調へと移り変わるその響きが、一条の光が差し込むように感じられた。そして、その旋律の後半部分が、ほとんど形を変えぬまま、まったく違った曲想で登場する、いわゆる「賛歌」の部分(132小節目)では、敬虔な気持ちにすらなった。まるで宗教的な祈りが込められているかのようなこの旋律には、単なるロシアからの独立をこころざすフィンランド人の矜恃、といったもの以上の何かが込められているのではないか、と。

 そんな自分のもやもやとした想いがどこからやってくるものなのか、シベリウスを中心とした音楽を専門とされている神部智氏は、丁寧な筆致で明瞭な言葉に紡いで下さっている。《フィンランディア》の解説にもはっきりと、この作品の最後のクライマックス、変イ長調の和音進行が I-IV-I、典型的なアーメン終止であることが指摘されている。なるほど、確かに、言われてみれば確かにそうだけれど、言われないと気に留めないくらいさりげなくもある。この作品が、戦闘的にフィンランドの独立を勝ち取ろう、とするような鼻息の荒いものではなく、むしろ祖国に対する愛をより静かに、より深く表現するための方法であったのだろう。シベリウスの作品に、声高に何かを叫ぶような身振りは似合わない。

 ジャン・シベリウスは、昨年2015年で生誕150周年を迎えた。この記念年に上梓された神部氏の著作『シベリウスの交響詩とその時代』における氏のねらいを挙げるならば、それは自身で示しておられるとおり、「『フィンランドの国民作曲家』というこれまでのイメージでは捉えきれない、複雑なパーソナリティを持ったシベリウスの人間像、作曲家像」(282ページ)を描く、ということに尽きるのだろう。そして、シベリウスという人物がそのキャリアの初期において、ロシアとフィンランドの対立、というナショナリズムの図式に、自身の意志とは無関係に巻き込まれ、「フィンランドの国民作曲家」という看板を背負わざるを得なかったことに思いを致すべきだろう。19世紀半ばにおいて、ヴェルディがイタリアを、ワーグナーがドイツを、そしてスメタナやドヴォルザークがチェコを背負わねばならなかったように、シベリウスもフィンランドを背負わねばならなかった、いや、背負わされたのである。

 再び神部氏の著作から一部を引用し、シベリウスが抱えていた現実と理想の違いに思いを致してみよう。「シベリウスがこうした社会の混乱期にあえて抽象的な交響曲の創作へと向かったのは、(中略)タイトルや標題、テクストが作品世界に導入されない以上、そこでは原則的に無用な音楽外的想念が持ち込まれる余地もないからである。つまりシベリウスにおける交響曲の選択は、ナショナリズムを標榜する時代に身をおかざるをえなかった音楽家が、自らの芸術作品の美的自律性を擁護する目的も担っていたと考えられるのである。」(131ページ) そして、シベリウスが自身を《フィンランディア》や《悲しきワルツ》の作曲家として(のみ)認識されることにも神経質であった、と。

 1917年のフィンランドの独立は、予想に反して重苦しい雰囲気に終始したという。食糧難やインフレ、ひいては翌18年のフィンランド内戦の勃発によってフィンランドは新たな危機を迎え、シベリウス自身も一時期フィンランド南部を制圧した赤衛隊に命を狙われているのではないか、という不安の中で暮らさざるを得なかった。自作に対しても厳しい批判の目を向けるシベリウスの創作ペースはさらに落ち、孤独感に苛まれる。そんな中で最後にシベリウスがたどり着いた《タピオラ》は、「単一楽章という形式構成のうちにあらゆる要素を凝縮しようとした晩年期シベリウスの『作曲理念の帰結』でもあった。その意味で《タピオラ》は、伝統的なジャンルのコンセプトとシベリウスの目指した表現世界の両者が見事に融合した、まことに類い希な音楽といえるだろう」(279ページ)と結論づけている。20世紀初頭には交響詩と交響曲の作曲原理を明確に分けて考えようとしたシベリウスが、最終的にはその両者を融合する地点にまでたどり着いている。ここには、20世紀前半という、人類史においてもっとも多くの人間の運命を翻弄したであろう世界大戦の時代において、その荒波に飲まれつつも、最終的には自己の内面を見つめ、たどり着くべき場所へとたどり着いたひとりの芸術家の生き様を見ることができる。

 タイトルにあるとおり、「交響詩とその時代」のみを採り上げている本書においては、まだ交響曲における諸相が本格的に採り上げられるには至っていない。だが、すでに神部氏が手がけるポケットスコアの解説は『第1番』『第2番』『第3番』まで進行しており、この研究成果もやがて、まとまった形で読める日が来るに違いない。また『ヴァイオリン協奏曲』の解説においても、初稿から改訂稿の成立に至るまで、なぜシベリウスが敢えてヴァイオリンパートを「やさしく」するかたちでの改訂に踏み切ったのか、興味深い考察は一読の価値がある。

※この記事は2016年4月に掲載致しました。

ご紹介した本
<シベリウスの交響詩とその時代

シベリウスの交響詩とその時代
神部智 著

6つの交響詩――《クレルヴォ》《レンミンカイネン》《フィンランディア》《ポヒョラの娘》《ルオンノタル》《タピオラ》を軸に、シベリウスの音楽観や世界観、フィンランドの民族性を綴った渾身の書き下ろし。各章前半は、伝記的な事実を踏まえながら各創作期のシベリウスの状況を描き、後半はそれぞれの作品の魅力に迫る。シベリウスの音楽は決してローカルなものではなく、普遍的なものへとつながるのだという著者独自の視点が随所に見られる。シベリウスの知られざる苦悩や葛藤、交友関係も読みどころの一つ。最新の研究成果も盛り込んだ、日本初の本格的シベリウス論。

シベリウス 交響詩 フィンランディア 作品26

シベリウス 交響詩 フィンランディア 作品26
シベリウス 作曲/神部智 解説

シベリウスの数ある作品のなかでも、もっとも人口に膾炙し、吹奏楽版への編曲や歌詞を伴った準国歌として親しまれている作品と、作曲家の創作期最晩年に書かれた小品を組み合わせて刊行。「フィンランディア」はロシアの属領化政策に抵抗して企画された民族的歴史劇のための音楽。のちにパリで開催された万国博覧会でヘルシンキのオーケストラが演奏して、注目を集めた。一方、「アンダンテ…」は、交響曲第6番・第7番と作曲時期を同じくし、オリジナルの弦楽四重奏曲から作曲者自身が編曲した弦楽合奏版は、ニューヨークで開催されていた時の万博で全世界へラジオ中継された。解説は、気鋭のシベリウス研究者、茨城大学の神部智。これまでに論じられたことのない視点を掲げ、また各種資料に典拠しながら、これらの曲の新しい聴き方を提示する。

シベリウス 交響曲第1番 ホ短調 作品39

シベリウス 交響曲第1番 ホ短調 作品39
シベリウス 作曲/神部智 解説

1890年代、民族叙事詩『カレワラ』などから題材を得て標題音楽の可能性を追求するラディカルなナショナリストだったシベリウスが、なぜ、交響曲という普遍的で抽象度の高い音楽表現の追求に向かっていったのか。本スコアの解説冒頭は、歴史的状況も踏まえたシベリウス交響曲論が展開されており、貴重。各楽章の楽曲解説では、さまざまな素材の展開処理、調と旋法を融合させた独自の音楽的思考、劇的なクライマックス形成などを、適宜譜例を交えながら詳細に論じる。初演から圧倒的な好評を博した第1番の魅力を、明快に解きほぐして興趣が尽きない。

シベリウス 交響曲第2番 ニ長調 作品43

シベリウス 交響曲第2番 ニ長調 作品43
シベリウス 作曲/神部智 解説

第1番の成功を受けて、約2ヵ月後には作曲に着手したと伝えられる。集中的に取り組んだのは、1901年2月から3月にかけて、リグリア海に面したイタリアの保養地、ラパッロにおいて。温暖な気候や地中海世界のさまざまな風物に接し、ドン・ファン伝説やダンテの「神曲」の物語世界が、作曲家の想像力を飛翔させた。初演は1902年3月、ヘルシンキにおいて作曲者自身の指揮で行なわれ、大成功を収めた。シベリウスの交響曲中もっとも演奏回数が多い。

シベリウス 交響曲第3番 ハ長調 作品52

シベリウス 交響曲第3番 ハ長調 作品52
シベリウス 作曲/神部智 解説

1900年代に入り、交響曲第1番、第2番の成功によって、気鋭のシンフォニストとしての国際的な評価を得たシベリウスが、時代の重苦しいナショナリズムに抗し、新たな作風を模索し始める契機となった作品。解説者はそこに「交響的幻想曲」という作品コンセプトと、音楽をより緻密な形で「凝縮」させようとする試みへの志向を指摘する。ソナタ形式による急速な第1楽章、ロンド形式風の中庸なテンポの第2楽章、スケルツォとフィナーレの要素を融合した第3楽章からなる。初演は、作曲者の指揮するヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によって、1907年9月25日に行なわれた。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲 二短調 作品47

シベリウス ヴァイオリン協奏曲 二短調 作品47
シベリウス 作曲/神部智 解説

1898年4月から99年初頭にかけて作曲され、同年4月ヘルシンキで作曲者自身の指揮により初演され、好評を博した、シベリウス唯一の協奏作品。『クレルヴォ交響曲』の成功から7年。その間ヘルシンキで聴いたチャイコフスキーの『悲愴交響曲』や、ベルリンで聴いたベルリオーズの『幻想交響曲』の感銘が、作曲家に純粋交響曲への道を進む決意をもたらした。全体は古典的な3楽章形式を採り、ドイツ後期ロマン派やロシア国民楽派に通ずる多彩な表現と、民俗的な幻想性とが精妙に融合する。青年期にはヴァイオリニストを目指した作曲家の、個性的なヴァイオリン技法も魅力のひとつ。

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