専門書にチャレンジ

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

広瀬 大介

第30回
和声教科書――実践から理論がわかる

 学生時代、和声をもっと真面目に、本格的に勉強しておくべきだった、と、いまさらながらに後悔している。ルールの体系がかなり複雑ではあるものの、一種のパズルかなにかだと思って取り組んではいた。が、もともと数学的思考能力が乏しいわが脳味噌には負担が大きすぎたのでもあった……。いま、学生に教える身分になって、ようやくそのルールを諸々思いだし、泥縄で復習し、わかったような顔をして教えていることに、良心の呵責を覚えないではない(学生の皆さん、本当にごめんなさい)。

 筆者が中学生・高校生くらいの時代、和声の学習と言えば、赤・黄色の表紙で有名な『和声:理論と実習』IIIIII別巻(島岡譲執筆責任)、通称「芸大和声」しか実質的な選択肢はなかった。ひたすらこの教科書で反復練習をしていた中高生時代を過ごした筆者にとって、(これはすでに以前のエッセイ でも書いたが)大学に入ってから、はじめてウォルター・ピストンの『和声学』に触れたときの衝撃は大きかった。このときはじめて、ただのパズルにしか過ぎなかった和声と、実際の楽曲がしっかりと結びついたのだから。これならもっと和声が実体を伴ったかたちで頭に入ったのに!と思ったことしきりであった(時すでに遅し……)。

 このような内容であるからには、今回紹介する書籍の大部分を執筆し、日本における和声学の教育メソッドを確立した立役者として、島岡譲(しまおか・ゆずる)氏を紹介しないわけにはいかないだろう。1926年(大正15年)生まれ。終戦直後、1947年に東京音楽学校で作曲専攻研究科を修了し、54〜55年にはパリ音楽院に留学。50年から40年以上にわたって国立音楽大学や東京芸術大学で教鞭を取りながら、日本における作曲の教育に尽力した。現在日本を代表して活躍する作曲家の多くが、氏の薫陶を受けたと言っても過言ではなかろう。

 「芸大和声」は、プロの音楽家を目指そうとする学生に向けた和声学の教科書として、同大学で長年用いられつづけてきた。これは和声の約束事、数学でいうところの公式を淡々と記した教科書であり、それを反復学習によって記憶に定着させることを目的としている。

 だが、和声学とは、いうまでもなく、18世紀以降の実際の楽曲でどのように用いられてきたかを体系的に学習し、理解し、響きとともに記憶に定着させることで、ようやく血肉になるものでもある。島岡氏も当然その問題意識は共有していたはずで、和声のしくみ・楽曲のしくみ』『和声と楽式のアナリーゼの2冊は、実際の譜例をふんだんに用いつつ、より多様な側面から、和声の実際の用法を学習者に理解させる目的のもとに執筆されている。もちろん、この2冊では、どちらも作曲を専門に学ぶような学生や研究者向けではなく、もう少し一般の音大生や一般の音楽ファンが想定されているのだろう。とはいえ、前者には和声運用の定義についての補足的な説明などはとくになく、「芸大和声」のエッセンスといった趣が強い。音楽を専門として学ぶひと以外が、一読だけで内容を理解するのは難しいかもしれない。

 このコラムをお読み頂いている方には、断然後者、アナリーゼを先にお読み頂くようお勧めするのが、順番としては理想的だとおもう。学習できる和声のレヴェルも、ナポリのII度、ドリアのIV度程度までと初級レヴェルにとどめられており、比較的読み進めるのは容易なはず。何より素晴らしいのは、本書の末尾に、典型的なソナタ形式(ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ》作品2-1)、ロンド形式(ベートーヴェン《ソナチネ第6番》)、ロンド・ソナタ形式(ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ》作品13)の実例を示した上で、それらを和声的に分析し、ハッキリとその構造を示して、作品の全体像を丁寧に解き明かしてくれている点である。理論を実践にうつしている本書のようなアプローチがあれば、音楽が成り立つ構造をさまざまな方法で捉えることも可能だろう。

 この「芸大和声」をもとにしつつ、その他の国での教え方などを参考にしつつ、さまざまな工夫を施した新世代の教科書も生まれている。『明解 和声法』は、大阪音楽大学での和声の授業をもとに編纂され、規則の羅列になりがちな和声の教科書に、その規則が成り立つ由来を可能な限り説明し、実習課題もかなり小刻みに配置している。和声進行における定型、VI → III → II → V → I を、『しくみ』では円環で説明しているのに対し、『明解』では楽譜+矢印で表現し、より和声そのものの進行をハッキリと図示しようとする姿勢が目立つ。実習課題もより多く挟み込み、より授業の場で実用的に使おうという意気込みを感じる。

教える立場としては、理論と実践がほどよいバランスで両立し、順を追って、無理なく学習者が理解できるような、工夫を凝らした教科書が登場してほしい、と切に望んでいる。ひとつの教科書だけで完結させるよりは、いくつかの教科書を組み合わせて使うのが理想的なのかもしれず、教師によって理想的な教え方は千差万別であろうが、それでもなお、よりよい教え方への探求は続けていかねばならない……。一生勉強するしかないですね。

●今回取り上げられた書籍の他に、和声の教科書としては、第10回実用和声学(中田喜直著)、第25回名曲で学ぶ和声法(柳田孝義著)が紹介されています。

※この記事は2016年1月に掲載致しました。

ご紹介した本
和声と楽式のアナリーゼ

和声と楽式のアナリーゼ
島岡譲 著

誰でも知っているピアノ曲を材料に、アナリーゼのしかたを易しく説明。分析した全曲楽譜と各種和音の用例も示した。高校・大学教材にも好適。

和声のしくみ・楽曲のしくみ

和声のしくみ・楽曲のしくみ
島岡譲 著

これまで、和声と楽式は別々に学習することが多かったが、本書は、本来は切り離しがたいこの2つのテーマを総合的に学べるようにした入門書。保育や初等教育の現場で必要となるキーボード和声(伴奏づけ)や作曲など、実践的な内容もカバー。ロングセラー『和声と楽式のアナリーゼ』の併読書としても有用。

和声:理論と実習 I

和声:理論と実習 I
島岡譲 執筆責任/他 著

東京芸術大学作曲科教授陣の総意を結集した和声教本で、大学向きに極めて高能率な方式が展開される。鬼では古典的和声の根幹を説く。

和声:理論と実習

和声:理論と実習
島岡譲 執筆責任/他 著

気任麓腓飽貭蠅猟監發妊デンツの原理をD和音を中心に扱ったが、兇麓斃冢族察κ儔熟族擦よびソプラノ課題を扱うものである。

和声:理論と実習

和声:理論と実習
島岡譲 執筆責任/他 著

非和声音をすべて転位構成音として把握する独自の理論により、従来では至難とされていた高度の対位法的運声技術までマスターする内容。

和声 理論と実習−別巻−課題の実施

和声 理論と実習−別巻−課題の実施
島岡譲 執筆責任/他 著

機↓供↓郡に含まれる主要課題の実施例。学習者はこれらの範例により、各課題の音楽的意図を具体的に感得でき、和声学習を全うできる内容。

明解 和声法明解 和声法

明解 和声法 上巻
明解 和声法 下巻
植野正敏、久保洋子、鈴木英明、永田孝信、水谷一郎、武藤好男 著

大阪音楽大学の作曲、および和声法担当教員の、長年にわたる初学者への指導経験によって生まれた、懇切な和声法テキスト。

新版 実用和声学

新版 実用和声学
中田喜直 著

1957年に刊行され、1998年までに32刷を数えた名著の再出版企画。いわゆる「芸大和声」に代表される専門家向けの精緻な理論書と異なり、書名のとおり「実用的」であることをめざして書かれた本であり、いまも保育や初等教育の現場では有用な内容である。著者自身も「まえがき」で、「和声学というよりは、和音学といった方がよく、旋律と和音の関係を明らかにして、ある旋律に対して、すぐにピアノで、弾きやすく、美しい和音がつけられるような方法を説明した本」と述べている。

名曲で学ぶ和声法

名曲で学ぶ和声法
柳田孝義 著

名曲の譜例をもとに和声法を学ぶことのできる画期的な一冊。本書は、音楽大学や教員養成課程で和声法を学ぶ学生の多くが、実際の音楽で和声がどのような役割を果たしているのか、なぜ和声法を学ぶ必要があるのかを十分に理解することなく、規則や禁則を覚えて課題を実施することのみに終始しているのではないか、という視点から生まれた。掲載されている譜例は、どれも一度は耳にしたことがあるだろう名曲ばかり。学習者が耳で直接和声の変化を感じることができるよう、演奏形態にかかわらずすべての譜例がピアノで演奏できるようになっている。全体は第1部基礎編と第2部実習編からなり、第2部の各章には練習例題とその参考実施例、さらに実習課題が用意されている。巻末には実習課題の実施例集も掲載されているので、学習のための手助けにして欲しい。『名曲で学ぶ対位法 書法から作編曲まで』の姉妹書。

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