専門書にチャレンジ

広瀬 大介(ひろせ・だいすけ)
1973年生。青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。著書に『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ──《無口な女》の成立史と音楽』(アルテスパブリッシング、2009年)、訳書にベルリオーズ、シュトラウス『管弦楽法』(音楽之友社、2006年)など。『レコード芸術』誌などへの寄稿のほか、各種曲目解説などへの寄稿・翻訳多数。 Twitter ID: @dhirose

広瀬 大介

第11回 
「辺境人」日本人の音楽

 現代日本人のルーツ探し、といった感すらある、明治期以降の洋楽受容史。この10年で様々な研究が世に問われ、そのありようはかなり明らかになってきた。こういう論を読むとき、筆者の脳裏にはかならずよぎる疑問がある。
 欧米列強の圧力、植民地化の恐怖から脱するため、徳川幕府の後を襲った明治政府は、国家機構、軍制、教育、文化に至るまで、ありとあらゆる局面に於いて欧米のシステムを取り入れる。その際、いわゆるその輸入を率先垂範した当時のインテリ層は、こと音楽に限って言うならば、西洋の音楽体系を取り入れるにあたり、営々と歴史を重ねてきた本邦の音楽体系そのものすらも変えるに至る。「舶来もの」に、そこまでの権威を負わせずにはいられなかった明治人たちのメンタリティは、何に拠って立つものだったのか。
 といって、ここでその道の専門家でもない私が、拙いだけの日本文化論を披瀝するつもりは毛頭ない。そういうときに筆者が力をお借りするのは、ピアノ教育の回に引き続き、内田樹先生のご卓見である。以下、近著『日本辺境論』(新潮新書、2009年)において、先生が主張なさる論拠を、私なりに、拙いなりに、強引にまとめると、こう言うことになるだろう(たとえそれが舌足らずであり、先生の本来の意図とは異なるものに変容してしまったとしても、きっと先生は許して下さるはずである、というのは第7回でも触れたので、どうかご参照のほど)。

 日本人は「東夷」と呼ばれた。すなわち東の端に棲む夷人(野蛮人)であり、「辺境人」である。この「辺境人」として、日本人は有史より中華皇帝を中心とし、その威光に従う「華夷秩序」のコスモロジーの中で生きてきた。邪馬台国・卑弥呼の時代から江戸時代に至るまで、日本人は自らを「東夷」とする世界観に従いながら、その一方で、海を隔てた遠国であるという地の利を生かし、このコスモロジーの約束事をその都度取捨選択しながら、名よりも実を取るという外交戦略を採用した。
 つまり、華夷秩序の約束事の中で、都合のよいものは取り入れつつも(例:律令制度)、都合の悪いもの、あるいは自らのメンタリティにそぐわないものについては「知らないふり」をすることでそれを回避する術を得た(例:宦官、科挙)のである。中華皇帝に対し、聖徳太子が無礼を承知で「日出ずる処の天子」とわざわざ外交文書に書いたのも、足利義満が明の建文帝に対して(敢えて天皇の存在をなきがごとくに)「日本国王臣源道義」とへりくだって見せたのも、それが「自らは華夷秩序の約束事を知らない蕃族である」というサインとして相手に発せられたものであり、故に中華の習俗をすべて真似る必要を回避していた。
 この秩序に大きな変革がもたらされたのが、幕末から明治にかけてであることは先述の通りである。国家破滅の危機を免れるべく、明治政府は躍起になって欧米並の国力を持とうとし、そのためにすべてのシステムを欧米風のそれへと切り替えた。幕末・明治期に数多くの犠牲を払いつつも、第一次世界大戦後には、日本は「五大国」のひとつに数えられるまでに至る。だが、哀しいことに、それまで「辺境人」でありつづけた日本人は、そのような立ち位置に自らが置かれたとき、どのように振る舞うべきかを経験則として持ち合わせてはいなかった。この時期の日本人がやったことと言えば、自らはそうあることを深層心理の中では望んでいないにもかかわらず、清・中華民国に代わる新たなアジアの盟主として振る舞うことであり、そしてその矛盾が早晩破綻したのは読者諸賢もご存じの通り。現在も、実質的にアメリカを盟主とする新たな「華夷秩序」の中に組み込まれた「辺境人」として、我々日本人は戦後世界を生きている。「辺境人」は、「世界標準に準拠して振る舞うことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」のである。

 さて、いつもの通り、あまりに長すぎる前置きを一旦脇に置き(あとでちゃんと戻ってくるのでご心配なく)、今回取り上げる本のご紹介を忘れぬうちに(!)。雅楽とか、能とか、三味線とか、日本人だから一応その存在だけは知っているけれど、それにはどういう歴史があるの?という向きには、『日本音楽がわかる本』がピッタリだろう。初出は『教育音楽』中学・高校版に、2001〜05年にかけて連載されていた「クニちゃんガクちゃんの日本音楽入門」。
 クニちゃんのクニは、多分「日本」を意味する「邦(くに)」から来ているのだろう。ガクちゃんはオンガクの「楽」だろうか? 何故か日本の音楽全般にやたら詳しいクニちゃんが、ピアノはバリバリに弾けるけど日本のことは何も知らない(という設定になってはいるけれど、筆者から見れば充分詳しいと思います)ガクちゃんに、日本音楽の音組織、音階、楽器、歴史などをわかりやすく説明してあげるのである。当然クニちゃんは昨今の研究事情にも精通しており、小泉文夫のテトラコルド理論なんかもバッチシとガクちゃんに教えてあげられちゃうほど博識である。
 クニちゃんは時々著者の千葉優子ヘンヘ(とご自分で表記されておりますので念のため)の助けを借りつつも、入門書にしてはかなり歯ごたえのある内容を、ガールズトークのノリでわかりやすく語ってくれる。雅楽、声明、盲僧琵琶といった中華世界の音楽を輸入するところから始まり、大和猿楽、室町時代に大成した能、江戸時代の三曲(三味線、箏、胡弓、尺八)と、浄瑠璃・長唄を祖とする三味線音楽へと至る流れが、時代を経るごとに、互いの領分を侵すことなく存在し続けた。そして、明治期以降に、それまでの「邦楽」が卑しめられ、「洋楽」が尊ばれ、邦楽の側が生き残るために洋楽のエッセンスを取り入れるまでが、要点を押さえたクニちゃんの解説によって一気呵成に語られる。

 洋楽の受容については、同じ千葉氏の『ドレミを選んだ日本人』により詳しい。式部寮の伶人が本格的に西洋音楽を学び初め、東京師範学校長の伊澤修二が音楽取調御用掛を兼務して西洋音楽の教育に本腰を入れはじめた時代。音階のファとシを抜くことで律音階と構成音を同じにし、より日本人に親しみやすい音楽を作るための契機となった「ヨナ抜き音階」。邦楽と洋楽を融合する最初の試みを行った本居長世と中山晋平。そして本格的な西洋音楽の教育を受け、その語法で新たな管弦楽曲・歌曲を作り上げた山田耕筰。決して共演することがなかった尺八と箏を同時に用いるなど、邦楽の世界に新しい表現の可能性を切り拓いた宮城道雄。いわば、先述の『日本音楽がわかる本』の明治期以降の話をより詳しく知りたい方が、次に読むための本である。きっとクニちゃんも、この本を隅々まで読んで、ガクちゃんに教えてあげたはず(!)。

 日本における最古の、いまなおその姿を今に伝える雅楽については、1999年に発売された旧版を増補改訂する形で出版された『新版 雅楽入門』が、必要にして十二分な情報を提供してくれている。雅楽の音組織が、呂音階、律音階、みやこぶし音階という基本の三つの音階から成ることを説き起こしている第5章から目を通すことを、読者諸賢にはお薦めしたい。この説明が、西洋の長音階・短音階を基本とする機能和声による教育を受けている(筆者を含む)大多数の日本人に対し、その西洋の刷り込みを放棄したうえで、いちからこの構造を理解するよう、要求しているのである。だが、そうはいわれても、この構造による音階の構成音を本では実際の音として聴くことができないため、筆者などはつい、近似値的に西洋の音階の音を頭で鳴らしてしまう。知識として音階の構造を学ぶことはできても、それが実際にどのような響きを伴うものなのかがわからない以上、雅楽の本質へとたどり着くためには、読者はなお多大な労力を払わなくてはならない。
 何であれ、ものごとの本質を伝えようとすれば、この種の労力は必要不可欠なものではある。だが、入門書という体裁を整える以上は、その敷居はできる限り低くしなくてはならない。この本はそういうジレンマに真正面から、真面目に取り組んでいる点に、同じ物書きとして著者の増本伎供子氏に大きな共感を覚える。
 だが、本来、日本人であれば、二つの音楽の間に横たわる敷居など、軽々と乗り越えられたはず。どうしてこういうことになってしまったのだろう?

 ・・・で、冒頭の「辺境人」日本人論へと(かなり強引に?)話が戻る。後世に暮らす我々が、歴史的な事実の堆積としてこれらの事象を眺めれば、そこには「辺境人」たる日本人がいかにして異国の文化をそれまでの文化と融和させ、軟着陸させてきたか、そのおおもとが見えてくる。冒頭にも述べたとおり、江戸時代までの日本人は、自らを「辺境人」と任じ、世界標準を横目で見ながらそれを取捨選択するフリーハンドを確保していた。実際、安土桃山時代に流入した南蛮文化に対しても、日本人は数ある世界の文化のひとつとして、中華文明と同様の態度で接し、取捨選択していた。このことを考え合わせるならば、いかに明治期の西欧文化の摂取が急激かつ異常な状態で行われたものかが感得されよう。強者の文明を取り入れつつ、それに100パーセント依存することなく、自らの立ち位置を、いまも模索し続けているのが日本人なのである。
 ・・・と、内田樹氏の考え方にのっとって考えれば、洋楽に軸足を置きつつも、完全に邦楽を棄て去ってしまっているわけではない現代日本の様相も、その本当の姿がおぼろげに見えてくるような気もする。だが、その両者はいまや高度に専門化してしまった。両者の間に横たわる敷居を軽々と飛び越えることのできる、本当の意味での「辺境人」たる日本人は、いまどれだけいるのだろう。そんな日本人は、避けがたい歴史趨勢のせいとはいえ、「軽々と飛び越える」ことのできるアドヴァンテージを明治期に棄てることを強制され、その結果現代日本には、日本古来の伝統にこだわりを見せるクニちゃんや、西洋の音楽こそ自らのアイデンティティのよりどころと考えるガクちゃんしかいなくなってしまった。今後、(クニちゃん+ガクちゃん)÷2のような人材は、次代の日本に現れるのだろうか。それとも、もう現れていて、筆者が知らないだけなのだろうか。

ご紹介した本
新版 雅楽入門

新版 雅楽入門
増本伎供子著

2000年に音楽選書の一冊として刊行された『雅楽入門』の新装復刻版。同書は、音楽に重点を置いて書かれた雅楽入門書として最高のもの。西洋音楽とは異なる原理に基づく雅楽が、歴史・楽器・種目・音楽的仕組みという四つの角度から、大変分かりやすく解説されている。今回新たに譜例・図・表の索引も追加。鑑賞教材として取り上げられる機会の多い「越殿楽」を解説の共通テーマにしているので、通読すれば、有名曲への理解も深まる。雅楽に関する本はいろいろ出ているが、「雅楽とはどのような音楽か?」を、本書ほど分かりやすく、しかも深く掘り下げて書いた本はない。

日本音楽がわかる本

日本音楽がわかる本
千葉優子著

雑誌『教育音楽―中学・高校版』に好評連載された「クニちゃんガクちゃんの日本音楽入門」の単行本化。音楽大学ピアノ科を卒業し、ピアニストをめざして渡欧し武者修行を始めたはいいものの、当地で受けた日本伝統音楽にかんする質問に自分がまったく答えられないことに愕然として帰国した〈ガクちゃん〉が、なぜか日本音楽にめっぽうくわしい猫の〈クニちゃん〉に、日本音楽についての講義を受ける──という設定。現代っ子感覚の対話を楽しく読みすすむうちに、知らず知らずに日本音楽通になれる。多岐にわたる日本音楽の種目や楽器などすべてが網羅され、索引も充実しているため、手軽な「日本音楽事典」としても使うことができる。

ドレミを選んだ日本人

ドレミを選んだ日本人
千葉優子著

『箏曲の歴史入門』『日本音楽がわかる本』で人気の著者の第3弾。「明治以後の洋楽受容史」を邦楽研究者としての立場から見直した、「もうひとつの近代日本音楽史」とも呼べる内容。明治以後、日本人の音感覚は、日本の伝統音楽固有の感覚から、舶来の西洋音楽的なものへと大きな転換を遂げた。いつのころからか日本の伝統音楽を異質なものと感じ、西洋音楽を快いものとして聴くようになった日本人の音感覚の変化に伴って、日本音楽の「新作」も変容を遂げる。異文化と出会い、ときに衝突しながらも拮抗し、共存・融合へと向かった日本音楽の姿を通して、私たちの音楽的感性が、ひいては日本人の価値観そのものが、変容してゆくさまを実証的に通観した。

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