21世紀のふるさとの歌を訪ねて

島添貴美子(しまぞえ・きみこ)
富山大学芸術文化学部准教授。
研究分野:民族音楽学(日本の民謡・民俗芸能)。
共著:『エイサー360度』(沖縄全島エイサーまつり実行委員会、1998年;沖縄 タイムス出版文化賞受賞)、『民謡から見た世界音楽』(ミネルヴァ書房、2012 年)など。
放送:NHKラジオ第二の番組「音で訪ねる ニッポン時空旅」に出演、解説を担当。同番組は「NHKに残された日本各地の祭りや民謡の貴重な録音を堀り起こし、 音からイメージできる“ニッポンの暮らし”を語り合う」。2015年4月に放送開始、現在もレギュラー番組として放送中。

島添貴美子
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第1回
あの世とこの世をつなぐ

■あの世と人の死

 日本では死後の世界を「あの世」という。民俗学ではあの世は仏教と仏教以前の信仰であるさんちゅうかいかんが混在している。
 山中他界観とは、あの世は山の中にあるという考え方である。山といっても近所の裏山とか、キノコや山菜を取りに行くような里の近くの山ではなく、その向こうに青く見えるもっと深い山の中に、あの世はあるらしい。山ではなく、海の彼方にあることもある。その場合は、たいてい漁村や離島である。
 人は死ぬとあの世へ行くことになっている。それでは、人が死ぬとはどういう状態のことをいうのだろう。民俗学の説明だと、人の体(肉体)の中にタマがある状態を「生きている(健康)」という。魂は時々、体の外に出てしまうそうで、一時的に外に出ても再び体の中に戻ってくる状態を「病気」、外に出たまま二度と戻ってこない状態を「死」という。
 人は死ぬと、肉体から出た魂は、一定期間、屋根の上や軒先にいて、それからあの世へいく。あの世にいった魂は時間をかけて浄化され、ついにはカミになる。村々にまつられる鎮守様は氏神のことだが、氏神とは一族のご先祖様の魂が浄化されカミとなったものである。このカミは山のカミだと説明されることもある。この山のカミは春になると田に降りてきて田のカミになり、この世の人々に豊かな実りをもたらすとされる。
 ところが、この世の子孫が、祀りを怠ったり、正しく祀らなかったりすると、アラダマ(荒ぶるカミ)となってこの世の人々に災いをもたらすという。しかも、一回祀っておけばよいかというと、たいてい、効果は一定期間(たとえば、一年)を過ぎるとなくなることになっている。だから、まつり(祭り)は定期的に行わなければならない。
 日本では、こうした山中他界観や魂の考え方に、仏教の教えが加わっている。人は死ぬと四十九日の間、一週間に一度のペースで、生前の行いにより裁きを受ける。有名なのは閻魔様だが、裁くのは閻魔様だけではなく、担当者は週替わりで決まっている。その間、子孫がちゃんと祀ってくれていれば、極楽へ行ける(らしい)。四十九日の後も一周忌、三回忌、七回忌……と続き、三十三回忌か五十回忌まで続く。加えて、お盆とお彼岸もあるし、毎月一日と十五日にお墓参りを欠かさない地域もある。死者は、裁きののち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道のうちのどこかに生まれ変わることになる。これを六道輪廻という。脇道にそれてしまうので、これ以上の話はしないけれど、六道の中で最も充実しているのは、なんといっても地獄である。地獄はバリエーションが豊かで天よりもずっと楽しい。
 このように、日本のあの世は、仏教と山中他界観が混在しており、整合性を欠いている。あの世の不整合さは目をつぶるとして、肝心なことは、この世では残された者たちの祀り具合で、死者の魂の待遇は変わる。まさにあの世は、この世次第なのである

■あの世の人に会いたい

 この世に残された人々が、死者の供養(祀り)をしないと災厄が起こる、という点では、あの世の魂たちは実にやっかいな存在である。しかし、同時に、この世には、あの世へ行ってしまった大切な人にもう一度会いたい、という思いがある。こうしたこの世の思いはどのように消化(昇華)することができるのだろうか。方法の一つは、この世とあの世をつなぐ専門の人に頼んで、あの世から亡くなった人の魂を呼び寄せて死者のメッセージを聴くことである。ここではイタコを例に、あの世とこの世の交流をみてみよう。
 イタコとは、東北地方で活躍する民間の巫女である。南東北では、イタコといわず、オガミサマやオナカマなどと呼ばれる。視覚障害のある女性が、師匠のもとに弟子入りし厳しい修行の末、独り立ちする。イタコといえば、イタコの口を使って亡くなった人が語りかける「口寄せ」をする人、というイメージが大きいかもしれない。しかし、イタコの仕事はそれだけではない。口寄せの他にも、地元で信仰されているオシラサマを遊ばせる、まじない、占い、体の不調を癒したりしてくれる。失くした物や人を探したり、様々な心配事の相談も受ける。口寄せが死者との交流であるのに対し、オシラ遊ばせやマジナイなどは、カミや悪霊などとの交流である。イタコは様々なあの世のものと交流することができる専門家なのである。
 また、イタコといえば、青森県の下北半島にある恐山での口寄せしている白い着物の人というイメージも大きいかもしれない。恐山はまさに山中他界観でいう典型的なあの世である。荒涼とした山の様子を死後の世界にみたて、恐山にいけば死者に会えるということで、参拝者を集めてきた場所だ。しかし、恐山での口寄せが始まったのは第二次世界大戦後のことで、歴史的にはそれほど古いものではなく、しかも恐山で口寄せするイタコは年々減少しているという。実際のイタコの活動の場は、依頼者の家、イタコの自宅、イタコマチといって人が集まる市場や寺など2である。近年、イベントなどで呼ばれたり、公演で舞台に上がることもある。
 宗教人類学者の佐々木宏幹によると、彼の故郷宮城県気仙沼では、イタコのことを「オガミサマ」と呼び、かつての気仙沼は名だたるオガミサマ地域であったという。

 檀家に死者が出ると寺に大勢の人が集まり葬儀が行われた。型どおりの儀式が進み私の祖父(住職)が大声で死者に引導を渡すと、死者の魂はあの世(仏界)に往くものとされていた。葬儀終了後一定の日が経つとオガミサマを喪家に招いて「クチヨセ」が営まれた。
 盲目のオガミサマは馬車でやってきた。
 喪家の、位牌と遺影の安置された壇の前でオガミサマがイラタカと呼ぶ長く大きな数珠を揉みながら経文を唱えると、突然声が変わる。人びとは「ホトケが来た」と納得し、ホトケとの語り合い(クチヨセ)が始まる。
 寺の住職の形式的所作とは異なり、クチヨセには意外性があり、子供心に異様な気を感じたものだ。(佐々木2013:8)

 これは、佐々木先生の幼少期、戦前の気仙沼の様子である。僧侶が死者をあの世へ行かせる係とすれば、オガミサマは、死者の魂をあの世から呼び寄せる係である。佐々木先生によると、いま気仙沼にはオガミサマはいなくなっているそうだが、二〇一一年の東日本大震災以降、気仙沼の被災者の方々がグループで青森へ行き、イタコさんに口寄せを頼んでいるという。イタコもオガミサマも今ではほとんど見られないと言われているが、二十一世紀の現在でも、あの世の人の声(メッセージ)を聴きたいというこの世の思いはまだまだある。

■死者からのメッセージ

 二〇一三年に「イタコ中村タケを記録する会」(代表 中山一郎)が発行した『イタコ 中村タケ』というCD/DVD集は、青森県八戸市在住で現在も現役でご活躍されているイタコ、中村タケの唱えごとが収録されている。ここで、タケさんが実際に行った口寄せの記録をもとに、口寄せの構成と内容をみてみよう。
 記録されたタケさんの口寄せは三例ある。解説書では口寄せは、死者の情報(名前と亡くなった年月日)を確認する【前置部】、死者を呼ぶ【導入部】、死者が語る【中心部】、死者が去った後の【終結部】の四部構成としている。(小島、薦田、沢井、角、中山編2013:69)
 ここでは、私が一番のお気に入りの口寄せを例に、【導入部】と【中心部】の内容をかいつまむ。この例は、七十代男性が自分の亡くなった母親を口寄せしたもらったものである3

(『イタコ 中村タケ』より。一部、書式等を変更している。)
【導入部】
地の祈り
<略>
ホトケ呼び
いーやーえー たんだ今の 極楽の 末木の枝には何がなる
南無阿弥陀仏の六字がなる 仏の浄土に降りてください
平成十二年十二月一日の立つ日の ○○様と呼び申す
娑婆の頼りと 降りてください

 【導入部】で、タケさんが死者の魂をあの世から呼び出す。死者の亡くなった年月日と名前を呼んで、「降りてください」と唱えた次の瞬間、タケさんの口を借りて死者が語りかけ、【中心部】に入る。
 【中心部】では、死者がこの世に呼ばれたことへの喜びを伝え、自分の現状を語り、残した者(依頼者)への思いを述べ、予言と注意(占い)をし、最後に呼んでもらったことへ感謝しながら、別れのことばであの世へ帰る。

【中心部】
呼ばれたことへの喜び
急いで参る 仏の浄土と呼び申す
今 いそいそと門の扉を開いて 恋い焦がれた月日の浄土に
きょう今日 母と呼んでくれるお前の嬉しいひと声に
明るい娑婆に戻れたような喜びで 呼んで貰えることだが <以下略>

 【中心部】では、死者(依頼者の母親)が語るように語られる。死者は、この世に残した家族があの世から自分を呼んでくれたことを嬉しく思いながらこの世へやってくる。そして、あの世での自分の有様とこの世に残した依頼者への思いを交互に語っている。特に、印象深いのは、死者のこの世の姿とあの世がどんなところかを語っている部分である。

残した者(依頼者)への思い
一年一年 歳を[取っ]重ねて来ることによって 油断して 病気だけはさせたくないと
いつも心の願いを持って 鳥の姿で守り 時には 身の変わった鳥に見せても
母と思うてほしい気持ちで守ってきたことだが <以下略>

 死者(依頼者の母親)は鳥の姿になってこの世に残した家族をいつも見守っていると語りかける。このような母親ならではの思いは、家族にとって胸の熱くなるメッセージである4

いずれは必ずお前も 仏の浄土に回る時が来ると思うが 仏のあの世の世界は
それほど楽しいところではない 何となく 寂しさと心残りのある所で
顔見知りの誰に会っても ひと声の会話も交わせない 目と目の合図で
仏になった実感を 互いに心得ながら暮らして行くのが あの世の世界だから
どんなことがあっても 必ず あの世に回れば 全てが楽になるということだけは
思ってくれるな <以下略>

 引用部分ではないところで、死者はあの世の役人に見届けられて、立派な蓮華の花の座敷に成仏できたと語っている。しかし、極楽にいると思われる死者にとって、あの世は決して楽しいところではなく、寂しいところであるという。
 そして、後半になると予言が挿入される。

予言と注意(占い)
この先に取り初めて 十月の三十日頃に 南の方角に回ることがあったら
注意してくださることを頼んでおく 必ずそうなることでなく
注意すれば逃れることだから 心得て暮らしてくれるよう しっかり頼む
<中略>
しっかり頼むぞ
一番孫にも 十二月の二十四日頃に この時は 交通面に気を付けてほしい <以下略>

 予言は、時と場所、誰がどのような災難に遭うから、気を付けるようにとかなり具体的に示して語りかけられる。こうした予言は、依頼者本人に対してだけでなく、依頼者の家族に対しても語られることがわかる。

呼んでもらったことへの感謝
<略>
別れのことば
<前略>
心から安心して 喜んで戻る ありがとう
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏で送られ申す ありがとう
喜んで戻る 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 最後に、この世に呼ばれたことを感謝しながら、死者はあの世へ帰っていく。タケさんから死者の魂が出ていき、タケさんは自分に戻る。
 死者を呼ぶ→死者が語る→死者を帰す、という構成は、口寄せでは様式化されている。もしかしたら、死者との交流の一つの様式なのかもしれない5。あの世の人と交流したい、という思いと、あの世の人がこの世にとどまり続けないように、という思いが交差している。
 CD/DVD集『イタコ 中村タケ』の解説書によると、タケさんの地元青森県八戸では、口寄せの期間は春秋の彼岸の時期とお盆、四十九日などと、決められていた。決められた時期の口寄せは、あらかじめ、口寄せ期間前に「神仏迎え」(魂を迎える)を行って、口寄せの場にカミを招き寄せておき、口寄せ期間後に「神仏送り」(魂を送る)を行って、招いたカミを丁寧に帰す。こうした、「神仏迎え」と「神仏送り」はイタコ自身の家で行うもので、依頼者の目にはつかない。死者は愛おしい存在であるとともに、恐ろしい存在でもある。入念な準備と後の始末を行うことで、確実で安全にあの世から死者の魂を呼び出して、あの世へ帰すようにできているといえるだろう。
 CD/DVD集『イタコ 中村タケ』の発行を記念して、翌二〇一四年に東京で「中村タケを聴く会」があった。その時に、タケさんにお会いしオシラ遊ばせなどを拝聴した。タケさんは「有難い、一心いっしん」という言葉を何度も繰り返して、始終、首をかしげながら唱える。それを見ているとタケさんは、我々が見えない何かを見聞きしているようにみえてくる。イタコというとおどろおどろしいイメージを持たれるかもしれないが、タケさん自身は優しくほのぼのとしたお婆ちゃんである。あの世は寂しいところかもしれないが、タケさんの優しさが、あの世からカミや依頼者の目当ての人を照らし出して、この世に連れてくるのかもしれない。

[参考文献]

  • 小島美子、薦田治子、沢井邦之、角美弥子、中山一郎編2013『イタコ 中村タケ』大阪:イタコ中村タケを
      記録する会
  • 佐々木宏幹2013「消えゆく文化の記録を今こそ!―「イタコ 中村タケ」の公刊に寄せて―」小島美子、薦
      田治子、沢井邦之、角美弥子、中山一郎編2013『イタコ 中村タケ』大阪:イタコ中村タケを記録する会、
      8-9頁
  • 福田アジオ、古橋信平、上野和男、倉石忠彦、高桑守史編2009『図説日本民俗学』東京:吉川弘文館
    福田アジオ、宮田登編1983『日本民俗学概論』東京:吉川弘文館
  • 宮田登1990『民俗学』東京:放送大学教育振興会(放送大学教材22177-1-9011)

※『イタコ 中村タケ』はアマゾンや「平凡の友」のサイト等より購入できます。

[謝辞]
本章では、『イタコ中村タケ』から、かなりの分量を引用をさせていただきました。引用にあたって「イタコ中村タケを記録する会」の代表中山一郎先生より、快く転載をご承諾いただきました。中山先生、ありがとうございました。


  1. 1 あの世、魂(タマ)についての民俗学的考え方については、下記の文献を参照している。
    福田アジオ、古橋信平、上野和男、倉石忠彦、高桑守史編『図説日本民俗学』東京:吉川弘文館、2009年
    福田アジオ、宮田登編『日本民俗学概論』東京:吉川弘文館、1983年
    宮田登『民俗学』東京:放送大学教育振興会、1990年
  2. 2 恐山もイタコマチの一つといえる。
  3. 3 この口寄せは【終結部】がなく、死者が去ったところで口寄せが終わる。
  4. 4 「イタコ中村タケを記録する会」代表の中山先生が、タケさんより伺った話では、死者のこの世の姿には、
      鳥のほかに蝶のこともあるという。
  5. 5 沖永良部島の哭き歌「コォイ」にも同じ構成がみられる。
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